名古屋市の北東部に、天白川の水路が走っている。いまは、ビルや住宅にかこまれ、流れもよどんで昔日の面影はないが、奈良時代は木曽の雪どけ水を運ぶ、清流あふれる堂々たる河だった。
『万葉集』に、この河の情景をよんだ高市黒人の歌が残っている。
桜田へ 鶴鳴きわたる 年魚市潟
潮干にけらし 鶴鳴きわたる
「年魚市潟」というのは、当時の天白川河口附近の入りくんだ潟を指している。天白川の河口近辺は、アユやウグイが群れ遊んでいたのだろう。アユばかりでなく、いたるところに発達した入江や湾には、多彩な魚が棲みつき、浅瀬の砂地には貝類が繁殖していたにちがいない。「年魚市潟」は、結局、「愛知」という地名のもとになるわけであるが、”愛知”の由来は、アユが豊富にとれた土地という意味ではないだろうか。それを裏付けするように、平安時代には当地から京都に大量の「あゆの塩煮」、つまり「あゆのつくだ煮」が税金として送りこまれているし、江戸時代になると徳川家に「あゆの鮨」や「うるか」が献上されている。
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