6-1.

天下の三大珍味といえば、古くから「肥前(長崎)のカラスミ」「越前(福井) のウニ」、そして、「三河(愛知)のコノワタ」が定説であるが、その中から厳選のベスト・ワンを残すとすれば、やはり「コノワタ」だろう。
もっとも、味に対する好みは個人差があるから、「ウニ」がいちばんというひともいるだろうし、いや、「カラスミ」と主張する通人がいてもおかしくはない。
しかし、
「天下の珍味」というからには、あくまでも「珍らしいもの」でなければ失格である。そのものの味が、いくらユニークでも、マスプロされたら珍らしくも何ともなくなってしまうからである。
それを舌にのせた瞬間、みんながみんな「うまい!」と思わず感心するようなものではダメ。少々オーバーな表現をすれば、財布を投げ出しても食べてみたいというような、強烈な魅力があって、その魅力に60パーセントくらいがとりつかれ、あとの40パーセントは、頭をかしげたくなるような食べものであることが必要だ。
「珍味」は、あくまでも
「味の個性」で自己主張してほしい。とまあ、「珍味」の定義をせばめていって、最後になおかつ残るのが「コノワタ」ではないだろうか。

6-2.

コノワタは、ナマコのはらわたの塩辛で、奈良時代に能登から平城京にみつぎものとして運ばれた記録があり、その歴史は古い。江戸時代は、「海鼠腸」、または「腸醤」と書いて「コノワタ」と読ませている。
原料のナマコは、全国各地の海岸でとれるが、三河湾のものがとくに有名なのは、内湾が水成岩で構成されているためナマコの成育に適しているからだ。外海のナマコは、コノワタ作りには向いていない。
天保2年(1831)刊行の『魚鑑』には、三河湾のコノワタが最上であると、つぎのように紹介している。「いま、諸国がこのわたを産するといえども、三河の柵の島産を上とする。尾張のものがこれにつぎ、武蔵国の杉田産ははなはだおとる」。
文中にある「柵の島」は佐久島のことで、並びて三河湾に浮かぶ日間賀島とともに、古くからコノワタの名産地として知られていた。知多半島の沿岸でもコノワタは作られている。「ナマコ引き(ナマコの腸をとり出すしごと)」は、漁家では、主婦のしごとである。ナマコの腹部をナイフで割り、長さ一メートルもある腸をとり出す。半透明のたいへんやわらかいもので、あつかいには細心の注意が必要だ。ナマコは、海底で微生物を捕食するときに、砂を飲みこむので、腸の中には砂がいっぱい入っている。
この砂を吐かせるために、ナマコは一昼夜イケスに入れてから作業にかかる。とり出した腸には、なお少量の砂が残っているので、指でしごいて、飲ませた水といっしょに押し出す。このとき、へたをすると腸がピユッと水をはじきとばすために、着物が濡れ、「ナマコ引き」は女泣かせのしごとだった。
しごくときに、指先に力を入れすぎると、腸の内側の粘膜も砂といっしょに流れ出し、風味がそこなわれてしまう。根気と年期のいる仕事である。

江戸時代、三河湾のコノワタは「島ワタ」と呼ばれて、大切にあつかわれている。徳川将軍家御用達食品に指定されていたからである。ナマコ引きして採取されたコノワタは、島の番所に集められ、二人の武士の立ちあいのもとに塩蔵された。ザルにあけて十分に水を切ってから塩を加え、ツボに詰めるのである。
こうして慎重に作られた「献上コノワタ」は、江戸に向かうための船上でも、決して下におろされることなく、武士によってかつがれていたと伝えられている。黄金なみの貴重品あつかいである。この「献上コノワタ」は、江戸の将軍家に二回、京都御所に一回運ぶのが毎年の定めになっていて、この習慣は明治のはじめまで続いている。
ナマコは12月から3月いっぱいが漁期であるが、3月に入ると、からだが大きくなりすぎ、かんじんの腸も太く肥大し味はおちてしまう。若いナマコのコノワタほど美味なのである。それにしても、5キロのナマコから100グラムのコノワタしかとれない。しかも、鮮度が勝負の商品だから、どうしても高価になってしまう。ナマコ自体の水揚げも激減し高値に拍車をかけている。
通人がそのこたえられない魅力に、千金をはたいても入手しようとしたコノワタの本当のうまさを堪能できる世代も、だんだん少なくなってしまった。若いひとの味覚には、なかなかなじめず、製品自体の高価とあいまって、このままでは、コノワタは″まぼろしの珍味”になる危険性が出てきた。
東海珍味のシンボルとしての「このわた文化」を残すために、何とか活性化する方策をさぐる必要があるのではないだろうか。


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